Society6

We have started selling prints on the Society6 website. More images will be added in the future.

On this website, it is fun to be able to see the products with combined images on the screen.

If you have any requests for images or products, please do not hesitate to contact me through my Contact page.

Society6というウェブサイトで版画などの販売を始めました。これから少しずつ画像を増やす予定です。

このウェブサイトの楽しいところは、画像を合成した製品を画面で見ることができるところです。

ご希望の画像や製品がございましたら、お気軽にコンタクトページよりご連絡をくださいませ。

★My Society6

Blue and White Porcelain | 青花

Blue and White is a porcelain that is blue colored painted on white porcelain. It was started connecting with Islamic countries in the 14th century in Jingdezhen, China and was influenced by Islamic design. Blue and White made in Jingdezhen was exported to world wide.

The body of Bleu and White is white porcelain.

White porcelain is made from clay that contains white stone. It is only in limited places and it needs highly skilled techniques to make it.

White porcelain was started to be made in China. A porcelain that was made in the 3th century has been discovered. In the Korean Peninsula and Southeast Asia, it was around the 11th century. In Japan, it was the middle 17th century, the Edo period.

In the West, Germany first succeeded in producing porcelain in the early 18th century. Austria and France followed. In England, where it was difficult to get the raw materials, “Bone China” was created from used animal bone to produce white porcelain.

Jingdezhen made porcelain that was ordered from all over the world until each country was able to be successfully produce their own.

「青花(せいか)」は中国語の呼び名で、白地に青い絵付けを施した焼物のことです。日本語では「染付(そめつけ)」英語では「ブルーアンドホワイト」と呼ばれます。

青花の生産は、中国景徳鎮とイスラム文化圏との交流から本格的に始まりました。14世紀のことです。青花は世界中に輸出されました。

青花の土台は白磁です。白い石を含む土を原材料とします。それは限られた場所にしかなく、生産には高度な技術が必要です。

白磁の生産は中国で始まりました。3世紀に作られたとみられる白磁が発見されています。朝鮮半島や東南アジアでは11世紀頃、日本は17世紀半ばです。

西洋では18世紀初めにドイツで成功したあと、オーストリア、フランス、と続きます。原材料が入手できないイギリスは、牛の骨から白磁を作るボーンチャイナが生み出されました。

世界の国々が自国で白磁を作ることができるようになるまで、世界各国に向けた焼物を生産し続けた景徳鎮です。

手の記憶

ヴェトナム製の焼物を、景徳鎮製だと思い込んで描き写し始めたことがある。描き写しながらヴェトナムっぽいと思いはじめ、それがヴェトナム製ではないかと疑いに変わったのは、8割ほど描き終えた頃。
 
このことがあってから、描き写す前に生産地をよく確認するようになった。
 
イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館にあるビールジョッキを画面上で見た時も、見た瞬間は景徳鎮製のように見えた。説明にはJapanとある。説明を疑うわけではないけれど、描き写しながら、景徳鎮製ではないと確信した。


その後に、景徳鎮製の焼物が恋しくなって、同じくヴィクトリア&アルバート美術館所蔵のビールジョッキを描き写した。輪郭線がしっかり描かれている。ピリッとした緊張感のある構図。私の手が覚えている景徳鎮の絵付けだと嬉しくなった。

景徳鎮製の青花に輪郭線が描かれていることや、ヴェトナム製の青色が薄いこと等は本に書かれていることで、私が発見したことでも何でもないのだけれど、本に書かれているとを描き写しながら確かめることができると、嬉しくなる。

一方、描きながら疑問に思うこともある。描き写しながら推測して、それを本で確かめられた時も、答えを見つけたようで、共感を得たようで嬉しくなる。

今までに描き写した焼物は、中国景徳鎮製をはじめ、韓国製、日本の伊万里焼、ヴェトナム製、ドイツのマイセン製、ロシアのグジェリ焼。どれも同じ白地に青い色で絵を描いた焼物だけれど、国によって違う。描き方や描かれる内容が違う。違うのに地域や時代で似た傾向があるのがおもしろく感じられる。それは目で見ただけではなく、手の記憶による実感もともなっている。

そろそろ、中国を離れて他の国の焼物を写してみたくなってきた。手が記憶することを知って、描き写す手がどんなことに気が付くのか、興味がある。それは、知る人は知っていることで、本のどこかに書かれていることだろう。それでも手がうったえることを調べ、手が記憶することをつなぎ合わせて物語にするのは、大変だけれど、楽しい。手には良質の記憶を蓄積したい。

土 ぬれ灰と釉薬

焼物は土からできている。

焼物の本を開くと、たいてい「陶器」と「磁器」の違いから説明が始まっている。比較された項目を見ながら、磁器は石を多く含む土からできている、と理解した。石が多く含まれているから、水も通さず、硬く丈夫で焼成温度も高いのだと。

では、土ってなんだろう。
土は何からできているのか、と考え始めると、地球は何からできているのか、宇宙は……ときりがなくなってしまう。

土を意識するようになったのは、茶の湯で使うぬれ灰を作っていた時のこと。ぬれ灰の感触が、焼物の表面にかける釉薬と似ていることに気が付いてしまったのだ。

まず、ぬれ灰とは、湿し灰(しめしばい)ともいい、茶の湯で使う湿った灰をさす。炉に炭をくべる前にぬれ灰をまく。乾いた灰が白っぽいのに対し、ぬれ灰は濃い茶色をしている。ぬれ灰をまくのは、灰が舞わないようにするため、炭に火を付けやすくするため、などと聞く。

このぬれ灰は、炉中にある炭を燃やしてできた灰からつくる。炭の燃えかすなどの大きなゴミを取り除いた後、灰を水に漬け、上澄みを捨て、乾かす。次に番茶を加えて色をつける。そうしてほどよく乾かし、ふるいにかけ、荒すぎず細かすぎない粒になったところでぬれ灰となる。

灰を水で洗っているとき、ふと水底の灰をかき混ぜてみたくなり、沈んだ灰に触れた。どろっとした感触、手にまとわりついた灰。何かに似ていると思った。そう、釉薬の感触に似ていたのだ。

釉薬の成分には灰が含まれている。焼物を焼く窯の中で、薪などの燃料が、釉薬として働くことがある。燃料が燃えて灰になり、さらに高温で灰が溶け、それが焼物に付着していた場合、溶けた灰はガラス膜となって焼物に変化を与える。

つまり、炭や薪には燃える成分と燃えない成分があり、燃えない成分が残って灰となる。燃えない成分は高温で溶け、化学反応をおこし、別の姿に変わって冷え固まる。釉薬は、灰の、化学反応をおこす燃えない成分をうまく利用しているのだ。

そうすると、ぬれ灰と釉薬を別物として扱うなんて、なんて勘違いをしていたのだろうと思える。

さらに、灰は釉薬に利用するだけではなく、肥料として土にまくこともある。ということは、灰の成分は土にも含まれていることになる。灰は土から栄養を吸収した植物の燃えかすなので、当然のことかもしれない。

土と灰と釉薬の違いは、成分、水分量、加える熱だと思えるようになった。それらを調整すると、個体の焼物ができたり、液体の釉薬や、粒のままの灰として利用することができる。それは経験と知恵の積み重ねによるものなのだろう。

そうして土について考えていると、土からなんでもできてしまうと思えるようになった。植物や食べ物はもちろん、金属や私たちまでも。土から必要なものを取り入れるか、取り出したものから成り立っているのではないかと。

「泥や土から人が作られた」という神話を耳にしたり、「最初の文字は粘土板に刻まれていた」ということを目にすれば、あながち的外れではないような気になってくる。

ぬれ灰と釉薬の感触をきっかけに、とりとめもなく、土は何からできているのかを考えるようになってしまった。

祥瑞は茶の湯の道具だけれども

祥瑞は茶の湯の道具です。

「祥瑞」は「しょずい」と読みますが、茶の湯の道具としての「祥瑞」は「しょずい」と読みます。今から400年ほど前の17世紀前半、江戸時代の初期に日本の茶人が注文して、中国の景徳鎮で作られた焼物です。

茶の湯の席で使われる祥瑞を知っている方は、お茶か陶芸に関係のある方だろうと思ってしまいます。私は茶席で祥瑞を知りました。

ところが、茶席で目にする祥瑞のほとんどは本物の祥瑞ではありません。詳しい方は「祥瑞」とは言わずに「祥瑞の写し」とか「祥瑞風」と言われます。17世紀に中国で作られた祥瑞の焼物そのものではなく、それを模して作られたか、そのような雰囲気の焼物、というような意味です。

作陶家による作品名も「祥瑞写」と書かれていることが多いです。

そういうことを目にし、耳にするうちに、祥瑞は
17世紀前半に
中国景徳鎮で作られた焼物である
ということを強く意識するようになり、「写」の文字を見ると、どこかに本歌があるはずだと思うようになりました。

祥瑞は茶の湯の道具だけれども、祥瑞風の絵模様は日用品にも見ることができます。例えば、お蕎麦屋さんの蕎麦どんぶりや湯飲み、身近な食器売り場の器に「祥瑞風」に幾何学模様や風景画が組み合わされているものがあります。

そうした絵模様を発見すると嬉しくなり、目でなぞりながら、今までに描き写した焼物を思い出し、似ている図柄を探して楽しんでいます。

さらに、祥瑞風の絵模様は、茶の湯や焼物の枠を超えて、文房具やスマホケース、布地など、もっともっといろいろな物に展開できそうです。

そんな機会があったら?是非たずさわってみたいものです!

祥瑞の茶碗
祥瑞の茶懐石道具

『彩り景徳鎮』

中国の景徳鎮は千年以上も続く焼物の生産地です。白地に青い絵付けの焼物、青花(日本語で染付、英語でブルーアンドホワイト)の発祥の地とされています。青花だけではなく、色彩が豊かな焼物も数多く作られています。

景徳鎮では明の時代(嘉靖の頃)から焼物に色彩が施され、だんだん華やかになります。華やかさは清の時代に極められ、その後、その華やかさを削ぎ落とし、余白をたっぷりと活かした焼物が誕生しました。1975年に毛沢東のために作られた焼物です。

物足りないほどあっさりした焼物を目にした時、見た目にはそれまでの景徳鎮の焼物との連続性が見られず、驚きました。しかし、成立過程を知ると、誰のためにどのように焼物を作ったのか、景徳鎮の焼物作りに一貫する厳しさを感じたのです。

私は、全く新しい印象の焼物を生み出せる景徳鎮の焼物作りに感銘を受けました。その感銘を再現しようと、景徳鎮で作られた色彩が施された焼物を3期に分けて考察する予定です。

焼物が本格的に色づく中国明時代の嘉靖期と、新しい技術が生まれた清時代を区切りとして、第1期を嘉靖以前、第2期を嘉靖以後の明時代、そして第3期を清時代以降に分けました。

青花に比べると、色が施された焼物は色彩が豊かです。そこでタイトルを『彩り景徳鎮』としました。

おまけに、私の大好きな祥瑞(しょんずい)が作られたのは、景徳鎮の長い歴史の中でたったの16年間と推定されています。景徳鎮では祥瑞以外にどんな青花が作られていたのか、青花以外ではどんな焼物が作られていたのか、そういう祥瑞への興味から続く『彩り景徳鎮』でもあります。